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マエルの航海日誌(Le voyage de Maelle)

第3回 セビーリャ(2006年3月2日)
掲載月:2006年11月

マエル

(マエルの母より)

夕日の中に、古代の人々が“ヘラクレスの柱 “*と呼んだものが見えました。 それは地中海と大西洋が出会う場所にあります。夜のうちにジブラルタル海峡を通り抜けるはず。 流れが強い上、貨物船がたくさん出ているから航海には充分な集中力が必要でした。 ”眠っている暇はないわ!”私たちはコーヒーよりもサンキストオレンジで起き続けていました。 午前4時になって、私たちはアルヘシラス港に碇を降ろしました。やっと休憩できるのです。 この停泊中に、郵便を受け取ったり、生鮮食品を補充することが出来ます。 スペインのスーパーマーケットは果物、野菜、魚、魚介類がとても充実しています。 特に柑橘類の果物は素晴らしい。

どしゃ降りの雨にも関わらず、ときどき出る晴れ間の魅力に誘われて私たちはジブラルタルを散策しました。 私たちはボタニカルガーデンが特に気に入りまいた。そこには世界中の植物が集められていて、中でもアロエのコレクションは印象的でした。 太陽が頻繁に顔を出してきたので、マエルは海岸沿いの散歩道を4kmローラーブレードで走り出しました。 直前の血糖値を測ってから、マエルは昨日自分で作ったシュガーフリー(砂糖不使用)のケーキを一切れ食べました。 すべてが順調でした。低血糖でもなく高血糖でもない。遠出してきたわけでもない。 “私は糖尿病かもしれないけど、とにかく楽しんでいるわ。”と、マエルは言います。

私たちは再び西へ、グアダルキビル(Guadalquivir)川へ向けて出発しました。 セビリアに行こうと決めたのです。翌日の正午には、門を示す Chipionaの灯台が見えました。 水路は狭いけれどよく設計されているので、上げ潮の流れを利用していきました。 すべてが穏やかで、私たちだけ・・・とその時、突然何十隻もの漁船や貨物船、モーターボートが私たちの後ろに騒がしく現れたのです。 港で追いつかれ、右舷側には・・・。この水路を出て行くしかありませんでした。 水は少なすぎるし、ところどころに岩が隠れています。その上、壊れた貨物船の残骸が私たちに警告を発しているようでした。

船が通り過ぎるとき、私たちは互いに挨拶をします。 礼儀は一つのルールです。スペインではあらゆる漁港でよく挨拶を受けました。 だから暗証番号が必要な柵や門に囲まれているようなマリーナはあまり好きではありません。部外者にとって、とても遠く感じるのです。

2、3日の間、私たちは潮が上がっているときを狙って川を上り続けました。 東の堤防に隣接した広大な農園では、馬や牛が自由に戯れていました。西の堤防はドニャーナ国立公園に隣接しています。 ここはヨーロッパの大湿地帯の一つであり、春や秋には何千羽の渡り鳥(コウノトリ、ソリハシセイタカシギ、ヘラサギなど)の停泊地となります。 双眼鏡を持って、私たちは引き潮のときに浅瀬に現れる小さな世界を観察しました。 コウノトリたちの巣は、川の側面にある大きなユーカリの木に作られています。 彼らは絶え間なく来ては去り、これらの巣を枝で強くしていきます。 川から何メートルか離れたところには、見渡す限りの田園が精巧に作られた灌漑水路によって水を供給されています。

オレンジ

2,3日の間、私たちはたくさんの宝物-壮麗な建物、古い個人のお宅、 そして、オレンジの木々が植えられたカリフ統治時代の灌漑用水路が横切る荘厳なアンダルシア様式の庭園-があるこのセビリアを探索しました。 アルカサル(Alcazar:王宮)は本当に建築物の宝石と言えるでしょう。 カソリック教徒のイサベラ女王がインド人のために商工会議所を創設したここが、新世界発見の旅が計画された場所でもありました。 ここで彼女は、クリストファー・コロンバスやマゼランに接見しました。 彼らは、グアダルキビル川を下り広大に海に出て、やがて何千もの船を率いて新世界から財宝や宝を持ってセビリアに戻ったのです。

かつてモスクがあった場所に建てられた大聖堂は、その印象的な大きさと共に当時の裕福さを今も証明しています。 ミナレット(尖塔)とオレンジの庭園は、今も残っています。 ムリーリョ(スペインの画家)とスルバラン(スペインの画家)の多くの作品が設置され、 壮大な宗教的な加工品のコレクション-金、銀、そして豊富な宝石-がしまわれています。 近くにはインディアス公文書館があります。コロンバスやマゼランの航海に関係する何千ものオリジナル文書が、 コルテス(スペインの軍人;Aztec王国を征服した)とピサロ(スペインの軍人;インカ帝国の征服者)などの征服に関するものと同様に保管されています。 マエルには目を見開いて、この歴史を学んでいます。

私たちは大通りや小道を手当たり次第にぶらぶらと歩きました。 そこは古い町の魅力にあふれ、壁やバルコニーは“azulejos(アスレホス:イスラム建築に見られるモザイク模様のタイル)”で飾られ、 その涼しげなパティオ、そしてたくさんのオレンジの木々が日よけとなっています。復活祭週間のための準備が進められています。 バンドは演奏の練習をし、教会のグループは聖母マリアとキリストの彫像が置かれた“pasos”(大きな彫刻された壇)を準備しています。 それら芸術品はしばしばとても古く、一年中保管され、修道衣を着たシスター達によって運ばれます。 彼女たちは信心深い熱情を持って、何千ものろうそくの明かりと共に通りを埋め尽くします。 人々が最も春らしい日々を準備している間、寒冷前線がヨーロッパを襲いました。 アンダルシアでさえ容赦なく雪で覆われ、人々は震えました。 甲板に出ると、降り始めは雪でなく氷で、次第に雨になっていきました。川は増幅し、流れはとても強くなりました。 ある夕べ、船に戻るときに私たちは漂流する枝の上で船外モータースクリューのシャーピンを壊してしまいました。 そうなると、もうこの給仕船を操ることは出来ません。急がなければ。私たちはオールを掴んで土手に向かって狂ったように漕ぎました。 逆流が私たちを200m上流にある船まで届けてくれることを望みながら。 夜が降りてきて氷のような風が吹いても、私たちは防水服の下で汗をかいていました。 この作業に全てのエネルギーを注ぎながら。少しずつ私たちは前進し、ついに船を超えました。 私たちは漂流物を予期して避けながら、川を横断し始めました。そして、船尾にたどり着きました。・・・ふぅ!無事に到着したのです。

*イベリア半島側のジブラルタルの岩山と北アフリカ側のスペイン領セウタにあるアビラ山の二つを指してこう呼ばれる。

豆知識:
スペイン料理は種類に富んでいて、比較的バランスの取れた食事を取りやすいと思います。また、果物や野菜は新鮮で冬でも手に入りやすいです。魚や魚介類も同様です。“Cocidos”(コシード:シチュー)は美味しいですが、ラードやいろいろなソーセージを使うのでたまに脂っこいものもあります。デザートはフランスのより少し甘いようです。 糖尿病患者にとって毎日必要となる医療機器類は、スペインで入手可能です。でも、ご自身が旅行に行かれる際は、必ず出発前に主治医からアドバイスをもらってください。

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