医療関係者の方へ

マエルの航海日誌(Le voyage de Maelle)

第9回 モーリタニアへ(2006年9月4日)
掲載月:2007年5月

マエル

アレフィセスを出発。沖に出たと同時に、釣竿の先につけた洗濯ばさみがカタカタとデッキに当たる音が聞こえた。なにか大物がかかったのだ。ハイテクとは言い難いが、私たちにはこれで十分。マエルは大はしゃぎである。引き上げてみると、獲物はマグロ。タヒチ風カルパッチョにして堪能した。目指しているランソローテ島の南に位置する小さな島が近づいてくる。ちょうど海の底から巨大な岩が突き出ているような変わった形をした島だ。

白しっくい塗りの家々からなる村がそこここに点在しているが、それを除けば、茶、黄土、黒、灰色に染めた1枚の帆布を貼り付けたように見える。マエルがまた海に入れるようになるのももうすぐだ。スノーケリングにすっかりはまってしまい、何時間も海面に顔をつけて、私たちの船の下に集まってくる魚-メジナやアジ等-を観察していた。ただ、小さな魚を捕らえては食べてしまうかもめには、ご機嫌ななめになってしまう。

この島には、3週間滞在する予定だった。碇を下ろしたのは、断崖絶壁に囲まれた入り江。まるで砂漠のような景色が広がっているのが見える。何回か島を歩き回るうち、マエルは石に興味を持つようになり、拾っては船に持ち帰ってくるので、彼女が言うところの“地質サンプル”コレクションはどんどん増えていく。子供とは、素直に自然の美を感じ取り、そして、初めて目にするものに心打たれる瑞々しい感受性を持っているものである。

同じように入り江に碇を下ろした一隻の船と、数日間を共に過ごす。マエルも一緒に崖の下の海にもぐって、色んな生き物を見つけた。ただ、ディンギーに ACCU-CHEK GO血糖測定器と砂糖、スナックを防水バッグに入れて積んでいたので、そこからあまり遠くに行かないように気をつけた。マエルは自分でもウェットスーツの下に試験紙が入っていた缶(密閉できるようになっていて水を通さない)に砂糖を入れて持っていた。万が一、急に血糖値が下がったときのためである。さて、せっかく友達になったが、もう一隻の船はグランカナリア島に向けて出航することになった。急いで出す必要のある郵便物を頼む。持っていた野菜や果物を分けてくれたのは嬉しかった。この島には、食料品店もスーパーもなかったから。船で旅する仲間同士、こうやって助け合うのだ。

この夢のような島から発たなければならなくなったのは、それから1週間後のことだった。 強風で海面のうねりが大きくなってしまったのだ。潮に流され、船はまっすぐに停泊していることができなくなり、揺れもひどい。縮帆して出航。西から押し寄せてくる荒波にもまれながら進む。左手にフエルテベンツラ島。午前3時ごろ、船のスピードを下げるため、いっぱいに帆を緩める。日の出後、グランカナリア島ラスパルマス港-スペインで最も栄えている大きな商港-に入ることにしたのだ。島が近づき、港の入り口に立っているはずの灯台を探すが、町の灯りが邪魔をして、なかなか見つからない。入り江の外で停泊している貨物船に遮られて、見えなくなっているだろうか。

後でわかったことだが、灯台はもう閉鎖されていたのだった。夜が明けるとすぐに港に入る。これでもう荒波にもまれることもない。私たちのほかにも、沢山のセールボートが停泊していた。ポルトガルやランサローテに寄ったあとだろう。ラスパルマスは、世界各地へと向かう船の多くがヨーロッパで最後に寄航する港である。船は、ここから南下してアフリカに向かったり、カリブ海のアンティル島、また、はるか南米大陸を目指す船もある。が、中にはここでこの先の航海を断念する人たちもいた。セイルボートでの旅は思ったより厳しく、数々の困難にこれ以上耐えられなくなったのだ。

ところで、新しい港に入った時、送受信兼用の無線機は、役に立つ情報をあれこれ仕入れるのに便利だ。レンタカーを借りるのはどこがいいか、必需品の補充にいい店はどこか、エンジンの部品を何週間も探していて、なかなか見つからないのだが、このへんで売っている店はないか、などなど。もちろん、これから立ち寄る港についての情報交換も盛んに行われる。ここで得た情報では、私たちがセネガルに行く途中で寄ろうと思っていたケープベルデ諸島は、あまり好ましい寄港地ではないらしい。ギャングたちが暗躍していて、夜といわず昼といわず、船から様々なものを盗み出すと言うのだ。ディンギーでさえ無くなるそうだ。最初は単なる噂だとたかをくくっていたが、色んな船から話を聞くと、ケープベルデでの滞在を早々に切り上げてカナリー諸島に戻ってきたものも多く、結局、私たちもそんな危険な島に寄ることはやめようと決めた。

時々、200隻以上にも及ぶ船が船団を組み、集団で航海することがあるが、(これは航海の仕方というだけではなく、人生の歩み方に対する考え方としても私たちとは相容れないものがある)彼らが、寄航する港に住む人たちのメンタリティにマイナスの影響をもたらしているのである。寄港地には大金が落とされることになるが、同時に現地の人たちへの考慮に欠ける行為もまた多いのだ。大きな過ちである。航海をする私たちは、思いやりのあるマナー、態度で、寄港地の人たちに接するべきである。マエルには、このことについて知ってもらいたいと思っており、常日頃から言い聞かせてもいるつもりだ。

マエルとアキュチェック

次はどこに行こうかと地図を広げた。一般的な航路からは少々外れてはいるが、モーリタニア共和国アルガン礁国立公園を選ぶ。5人の子供と航海をしている一家と知り合いになり、一緒に行くことになった。子供たちは、マエルのいい遊び仲間だ。ばたばたと生活必需品を積み込む。主食から果物、野菜。食料は現地調達が難しくなるのだ。どの位もつか、まだ緑色なら熟れるのにどれ位かかるか、考えながら選ぶ。

りんごや柑橘類は、上手に保管するとかなりもちがいい。キャベツやにんじんも然り。万が一の場合の保存食として、ドライフルーツや缶詰の果物、野菜も準備する。あとは、水、ディーゼル燃料、ガソリンを補充。これで、やっと出航の準備が出来た。出発の前に半日かけてグアンチェ博物館を見学。スペイン人が16世紀にこのカナリー諸島を発見するまで現地の人々がどんな生活をしていたか、その歴史を紹介する博物館である。人々が住んでいた洞穴から見つかった陶器は見事だったし、ミイラの展示-彼らは機織の技術を知らなかったそうで、何層ものヤギ皮に包まれていた-も興味深かった。考古学好きのマエルはすっかりご満悦である。全く素晴らしい博物館ね、と褒め称え、このあと人に会うと必ずここの話をしていた。

Wi-Fi(無線LAN)のおかげで、キャシー(5人の子供たちの母親)と私は定期的にお天気のサイトをチェックし、最新の天気図や予報を確認することができた。海にいる限り、1日24時間、天気予報が頼みの綱であることは二人とも十分にわかっている。翌日出発すれば、ちょうどお天気にも恵まれ、目的地までの470カイリ、5日~6日の穏やかな航海になるだろう、という結論に達した。

予定通り、翌日の午後出航。北の風風力3~4、波は少しあるが、航海には全く影響ない。最初の夜はかなり注意して見張りをした。この航路は、逆方向ではあるが、アフリカからカナリー諸島へと不法移民を運ぶ“cayucos”と呼ばれる丸木舟の航路に当たっており、この舟が航海灯などつけている筈もない。衝突はあり得ないことではなく、それは勿論絶対に避けたい。その夜は波も穏やかで何事もなく過ぎた。早朝、マヒマヒを2匹釣り上げる。いよいよ熱帯の海に近づいるのだ。その日は日中、風が変わりやすく、急に強くなったり、また穏やかになったり、風向きもかなり不安定で、時々、私たちのボートは全く風を捕らえられなくなったりした。何回も帆の位置を調整し、どうにか前に進む。海の上では“前進する”ことが何より大切なのだ。航海は忍耐を学ぶには最適な学校だ。マエルは、片目で流し釣りの釣り糸を見ながら、もう片目で読書。船の上は静かで、本を読んだり、音楽を聴いたりして過ごした。RFI(ラジオフランスインターナショナル放送)を聴いているときだけ、まだ、自分たちがフランスと繋がっているのだという実感がわく。

その夜、マエルは私と最初の船の番をしたがった。二人で操縦席の後ろに陣取る。そこでは風の心配もない。夜空には天の川。きらめく何億もの星々。大海原から見上げると、町の灯りに邪魔されることもない。こうやって一緒に幾つもの夜を空を眺め、星をさがして過ごした。明るい光を放っているのは、デネブ、ベガ、アンタレス、シリウス、ポルクス。望遠鏡で見ると、もっと鮮明だ。色んな質問が頭をよぎる。天の川に星の集まっているところを、あまり星のないところがあるのはなぜだろう?他に比べて明るい星があるのはどうして?地球の他に人が住んでいる惑星はあるのだろうか?私たちが貴重だと思うのは、マエルと共に過ごすこんな一瞬一瞬である。色んなところを旅する、自由な生活を送っているからこそ、家族が多くの時間を一緒に過ごすことが出来るのだ。マエルに糖尿病があるとわかったとき、本人にそのことを話すことにためらいがなかったのは、おそらく、こうして沢山の時間を一緒に過ごしてきたからだったのだろう。頭の中を色んな考えでいっぱいにしているマエルを操縦室に戻し、一人甲板に残って、周辺の状況を確認する。問題ないとわかり安心して操縦室に戻ってみると、マエルは操縦席で眠っていた。星の夢でも見ているのだろう。抱き上げて、キャビンに連れて行く。そちらの方がぐっすり眠れるだろうから。操縦室に置いてあった持ち物をまとめてから、クリスティアンを起こしに行く。今度は彼が見張りを行う番だ。

夜が更けるにつれ、風が強まり、波が高くなって、波窪も深くなってきた。空は一面雲に覆われている。夜明けには、あたり一面灰色、視界もぐっと悪くなった。と、スピンネーカー(追い風を受けて走るときの大きな帆)とポールの接続部が壊れて接続が緩み、ポールが船体にぶつかってものすごい音を立て始めた。早くどうにかしなくてはならないが、下手すると海に叩き落されたり、ポールにはたかれて大怪我をしてしまう。一体誰だ、今度の航海は、足を海につけてデッキでのんびりとしているうちに終わってしまう、なんて言っていたのは?

出航して4日、モーリタニア沿岸域にさしかかる。このあたりの海は豊かな漁場で、夥しい数のトロール漁船、色鮮やかな長い丸太舟が出ていた。霧の中から突き出したように見えるのはブラン岬である。注意して進まなければならない。砂洲はあるし、あちこちにがれきも沈んでいるようだから。まるで障害物レースだ。物見高い漁師たちだろう、1隻の丸木舟が、私たちのボートを見ようと近づいてくる。ウォロフ語であいさつをしてくれた彼らは、セネガルで子供時代を過ごしたクリスティアンが自分たちの言葉であいさつを返したのには大いに驚いたようだが、この先、がれきやかなりの数の網が海中にあるから気をつけて、と教えてくれた。

港の入り口に向かう途中、VHFラジオで管理局に連絡を取る。事務所がもうすぐ閉まってしまうので、入国の手続きは明日になるらしく、それまでここで待つよう指示された。一時碇泊しなければならなくなったわけだが、この場合、上陸は国際海事法で禁止されている。ちょうど碇を下ろしているとき、私たちの後ろについていたキャシーたちのボートに、港に帰ってくる漁船からディンギーが近づいてきた。15匹ものボラを届けてくれたのだ。なんというホスピタリティ。みんなでおいしくいただいた。

その夜は、ぐっすりと眠れた。次の朝、それぞれのボートから代表者が一人ずつ上陸を許され、入国の手続きを取る。ほとんど丸一日かかったが、みんな親切で笑顔で対応してくれ、スムースに事が運んだそうだ。この港にセールボートが入ってきたのは、6年ぶりだそうだ。待っている間、子供たちはボートで釣りを楽しんだ。かなりの魚が餌に喰らいついてはきたが、ただの1匹も釣り上げることはできなかった。残念。

レブリア湾

モーリタニア第二の都市で経済の中心地であるヌアディブーの町を見てみたかったが、この望みは叶えられなかった。かなり強い東風が吹いており、私たちが碇を下ろした場所にはそれを遮るものがなにもなかったからだ。碇を上げ、レブリア湾の西側に向かう。もちろん、そこも風は強かったが、外海の荒波からは逃れることができるようになっているようだった 。強いハルマッタン(サハラ砂漠からアフリカ西海岸に吹く砂混じりの熱風)が吹き荒れ、200メーター先も見えない。焼け付くように熱い風である。

まるで最高の温度に設定したヘアドライヤーを当てられているようだ。気温を測ると、外で45度。ボートの中でも35度ある。細かい粒の砂はデッキを覆い、どこにでも入り込んだ。目指していた碇泊地に着くとすぐに海に飛び込む。水温28度。体を冷やすのにはちょうど良かった。しかも、水から上がったときも、全く寒さなど感じない。あっという間に体が乾いてしまうのだ。こんな極限の環境の中にいると、ロシュ製の医療機器の信頼性の高さが本当にありがたい。これまで、寒さ、湿気、海水、砂にさらされ、落としてしまったことも幾度となくあったし、勿論、他にも覚えていないほど色んなことがあったであろうにも関わらず、ACCU-CHEK製品は私たちの信頼を裏切らなかった。こんな生活を送っていると、デザインがいいというだけでなく、頑丈な製品が必要なのだ。勿論、マエルにはデザインもかなり大きなポイントであるのだが。

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