医療関係者の方へ

マエルの航海日誌(Le voyage de Maelle)

第10回 ヌアディブ(2006年10月)
掲載月:2007年6月

マエル ヌアディブの街を散策

(マエルの母より)

サハラ砂漠から吹いてくる乾いた熱風(ハルマッタンと呼ばれている)が、4日間も休みなく吹き荒れ、気温は昼も夜も高いまま、一日中下がることがなかった。風の中、吹きすさぶ砂のせいで、空は赤っぽく見え、私たちのボートにもその砂の色がついてしまうほどであった。こんな状況の中、ビーチで測定器ーの中に砂が入らないよう注意しながら血糖を測るのは、ものすごく大変だ。防水バッグを風下に向けて広げ、測定器を保護しながら測定することにした。こうでもしなければ、測定器はほんの何秒かで砂だらけになっていただろう。砂嵐なんて、電子機器には大敵に違いないのに、ACCU-CHEKはいつもと変わりなく、正確に動いてくれた。ここでは、私たちは、日中の一番暑くなる時間を、日除けに張ったテント(本当は雨よけなのだが)の下で過ごした。マエルは時々我慢できなくなって、海に飛び込むこともあった。すぐに喉がかわくので、水分は沢山取らせた。でも、勿論ただの水。だから、心配は無用だ。日中の暑さはとても耐えられないほどだったから、ビーチに降りるのは早朝と午後の遅い時間だけにした。

ビーチから先は、様々な地形が広がっていた。まず目に付くのは、砂丘。ここでは、いつも、風が作り出す素晴らしい砂模様を見ることが出来た。それから浅瀬。潮が引くと、海岸から2,3キロも伸びる干潟になる。ここには、はまぐりがいるのだが、地元の人は食べないそうだ。引き潮が半分だけ進むと、この干潟には60センチほどの深さのお湯がたまる場所がある。ちょうど湯船につかっているみたいで、とっても気持ちがいい。しかも、またお湯が引いていくときは天然のジャグジーみたいで、長い散歩のあとに体を休めるには最高だ。

今日はジャッカルの足跡をたどってみた。足跡はビーチにも砂丘にも、あたり一面に残っているのに、実際姿は見かけたことがなかった。すごく頭のいい動物である。一度、その遠吠えに夜目を覚ましたことがあった。実物を見てみたかったが、一晩中ビーチでキャンプでもして見張っていない限りは無理だろう。石膏でその足跡の模型を取るのを、マエルは面白がって手伝っていた。

ビーチには優美なピンク色をしたフラミンゴと鵜の一種がいたが、体が重すぎるのか、もともと不器用なのか、空を飛ぶのが苦手なようだった。人に慣れていないせいで、かえって警戒心がないのか、20メートル以内にまで近づくことが出来た。もっと小さな海鳥たちは私たちのボートにやってくるので、こちらは手で触ることさえ出来た。昨日は、絵を描いているマエルのところに一羽やってきて、机に止まっていたくらいだ。

マエルはスイミング、散歩、それからコレクションのための貝殻拾いなど、結構忙しくしていた。私たちが網を仕掛けるのを手伝うこともあった。網を仕掛けておけば、新鮮な魚がいつもいただけるのだ。でも時々、この網に小型の鮫がかかることがあった。まだ生きていたら放してあげていたのだが、この前水から引き上げてみたら、死んだのがかかっていたときがあった。マエルは詳しく観察していた。肌はざらざらしてサンドペーパーのよう、体は流線型、歯は小さかったけれど沢山あった。観察が終わってから、その鮫を毎晩ジャッカルが通るビーチの端の小高い丘の上に置いておいた。次の朝、ちょうどその場所までジャッカルの足跡が残っているのを見つけた。鮫はなくなっている。ジャッカルにとってはすごいごちそうで、きっと大喜びしただろうねとマエルは言った。鮫のいる浜なので彼女が泳ぐときは、私たちがいつも見張っていたし、彼女自身もずいぶん気をつけていた。例えば、スイミングする場所では釣りもしなかったし、網にかかった魚をさばくのも避けた。匂いで大きな鮫を引きつけるといけないから。

この海岸に人は住んでいなかった。2,3小屋らしいものが建っていたが、時々漁師が来て使っているだけのようで、人をたくさん見かけることはなかった。漁師たちは臆病なのか、自分たちから話しかけてくることはほとんどなかったが、ときどき私たちの方に近づいてくる少し勇気のある漁師もいた。魚を売ろうというのではなく、タバコや水を少し貰えないかと聞いてくるのである。ここでは、水は特に貴重品なのだ。そんな機会には勿論話をするようにしていた。こちらから話をしに近づいていくこともあった。話しかけられた漁師たちは、私たちが自分たちに興味を持っていることにかなり驚くようだった。

エトワール湾の手前に、砂丘の中に何件か固まって家が建っていた。私たちは、これが村だったらラッキーで、蜃気楼でなければいいね、などと話しながら、その集落に向かった。かなわない望みと知りつつも、野菜が買えるかもという期待を捨てきれなかった。残念ながら、お店はただの一軒しかなく、しかも売っていたのは何本かのジュース、虫の食ったピーナッツ、そして石鹸だけ。運が悪い。でも、店主がお茶をご馳走したいと店の裏手に続く自宅に案内してくれた。ラグと何枚かのマットレスと沢山のクッション、お茶の道具と液体燃料を燃やして使うコンロだけのとても質素な家だ。家具は無かった。すぐに準備が整ったようで、いよいよモーリタニア名物のお茶の儀式が始まった。マエルが興味津々なのに気づいたワヒード(これが店主の名前だった)は、フランス語にモーリタニア語を交えながら、お茶の入れ方を丁寧に説明してくれた。モーリタニアは世界でも有数のお茶の消費国で、お茶の入れ方にも作法があり子供の頃に親から習うという。ポットに沸いたお湯にお茶の葉と大量の砂糖を入れると、ワヒードはそのポットをコンロから持ち上げ、その腕を思い切り高々と振り上げた。これには本当にびっくりした。しかも、そんなに高く掲げたポットから小さなカップにこぼさずにお茶を注ぐのだ。泡を作るためだという。モーリタニアではお茶をかなり甘くして飲むようだったが、午後の早い時間に、マエルがそんな甘いものを飲めるわけがない。ワヒードに事情を説明すると、妹さんも糖尿病だそうで慣れているという。気の毒にね、と言いながら、砂糖なしのお茶をマエルのためにいれてくれた。妹さんは人工甘味料を使っているかも知れない、と心配そうだった。

モーリタニアは2型糖尿病患者が多いと言う。砂糖やでんぷんを取りすぎるし、運動することもほとんどないそうだ。ヌアディブの薬局では血糖測定器も売っていて、最新のモデルのものもあり、値段は40~180ユーロくらい。血液用や尿検査用の試験紙も手に入る。インスリン注入用のペンもあるが、インスリンはなかなか手に入らないし、薬局でもあまり種類を知らないようだった。経口血糖降下薬も数種類はある。年に2回スペイン人の専門医がチェックをしにやって来る。モーリタニアの他の町での状況はわからないが、ヌアディブの薬局に来ていた人は、アフリカではまがいものの薬のイミテーションが出回っているから気をつけるよう教えてくれた。

この素晴らしい自然に囲まれた湾で3週間を過ごしたが、ヌアディブに戻るためにアルガン礁の北に向けて出発しなければならなくなった。ビザが切れかかっていたのだ。地元の人達もみんな親切だったし、マエルはもう少し滞在したかったが、セネガルではまだ雨季が明けていなかったし、やはりビザを切り替えておいた方がいい。ものすごく暑い部屋に2時間待たされて、やっと新しいビザを取った。そのまま買い物に出る予定だったが、あまりの暑さにくたびれ果ててしまい買い物は次の日に延期することにした。

町では色んな面白いものが見られとても面白かった。メインストリートには、一昔前のメルセデスやルノー4Lがつぎはぎだらけではあるが、まだ走っていた。ここの修理工はずいぶんと腕がいいに違いない。ロバの引く荷車は、ガスボンベ、農作物からコンピューターまで、ありとあらゆるものを積んで道路のルールなどお構いなしに進んでいく。この雑踏の中を何にもぶつからず歩くには、頭の後ろに目がいるかも、と思うほど。その上、ロバやヤギが食べ物を求めてうろついており、ゴミ箱や店の前にえさ用に出されたかごに入った残り物の野菜を漁ったりしている。露店には、木のテーブルの上にお茶のセットを並べただけの“喫茶店”から、ミントの小枝を売っているもの、果物や野菜を売っているものなど、何でもあり。野菜を売っている露店は、女性がやっていることが多いようだった。

ヌアディブの市場

市場として決められた場所はなさそうだったが、時間さえかければ何でもさがせるくらい、ものすごい数の小さいお店がびっしりと軒を並べているところがあった。肉屋が2軒あったが、どちらも薄汚れた店構え、壁には血のしみがついており(その場で動物をさばいているのだ)ハエがたかっていた。灰色の石を売っている店があり、マエルが夫に何の店か尋ねていると、店の主人が聞きつけて、それが石ではなく砂漠から運ばれてきた岩塩だと教えてくれた。らくだではなく、700kmほど内陸に入ったところからこの港まで伸びている鉄鉱石を運ぶ鉄道で運ばれてきたのだと言う。面白かったのは、ティーセットを買ったお店で飲み物の缶をリサイクルして作った粉ふるい機も売っていたこと。ここで小麦粉を買ったら、粉ふるいも買わなくてはいけないという。なぜかと言うと、ゾウムシの混じったままの小麦粉なんてそのまま料理に使いたくないからだ。パンはと言うと、とてもおいしいバゲットがあった。ただ、ハルマッタンが吹いていると、このバゲットも口にするとざらざらした感じがしたが、砂の国にいるのだから避けることは出来ないのだ。マエルのお気に入りは、ナツメヤシを売る露店が並んでいる通りだ。色んな種類を売っていて、どんな人の好みにも合うものが見つかりそうだった。おいしいと思ったのは、アッタル地方産のもの。マエルは何個か食べて血糖値を測ってみたが、ちょうど果物1個と同じくらいの糖分があるにも関わらず、影響はなかった。

マエル in ヌアディブの市場

今朝、街に行く用意をしていると、パトロール船が25mほどもある丸木船を牽引してドックに入ってきた。10代~20代の若者が100人はいるだろうか、パトロール船のデッキにひしめき合っていた。帽子やスキージャケットなどを身につけている者もいたが、ほとんどはTシャツを2枚重ねただけで寒さをしのごうと思っていたようだ。モーリタニアの軍兵に伴われ船を下りると、手続きのためにどこかに連れて行かれるまでドックで待つのだ。どの顔にも悲しみがにじみ、落胆の色が隠せない。彼らの旅はここで終わったのだ。財産をはたいて業者に手数料を払ったにしても、もうなす術もない。ヨーロッパへ渡るために大金を借り、手持ちのものを全て売り払って資金を作ったものが多いのだ。故国では家族が仕送りを待っているのを知りながら、彼らにはどうすることもできない。

10歳のマエルに、これらのことを理解させるのは難しい。それでも私たちは彼女にニジェールの貧困、飢饉のことを説明した。木の葉っぱを食べて飢えをしのいでいる人々がいるのだ。アフリカに着く前に話をしていたので、実際に目で見て、アフリカの人達の生活ぶりがフランスとは違うということを確かめることが出来たようだ。ここでは、自分と同じくらいか、それよりもっと小さい子供たちが家もなく道端で物乞いをしながら暮らしているのを見て、彼女なりに複雑な気持ちになったようだ。

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