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マエルの航海日誌(Le voyage de Maelle)

第12回 セネガル(2006年12月)
掲載月:2007年8月

マエルとマングローブ

ダカールの雑踏をあとにして、南、Sine-Saloum川の方向に向けて出発した。約200キロの旅路。驚くべき景色が広がる素晴らしい地域だった。広漠なデルタには、クモの巣をはりめぐらしたように小島や砂州が入り組み、そのところどころに海が入り込んでいた。あたり一面には地面にからみつくように根を張ったマングローブ。熱帯地域の湿地帯によくあるタイプの森。海と陸が交じり合ったようなこの独特の地形が7万ヘクタールも広がっており、ぽつぽつとまばらに集落がある以外は人跡未踏だった。内陸に進む前に、私たちはロビンソンクルーソー島とよばれる大きな無人島のそばで少し休むことにした。そこに暮らすのは白昼堂々と海岸線を散歩する1匹のジャッカルと素晴らしい角を持つゼブーの一群。静かに時間が過ぎていった。マエルは午前中は勉強。それから島を散歩、スイミング。自分たちで獲った牡蠣を、海岸で焚き火を起こし焼いて食べたりもした。

地元の漁師たちが漁からの帰り道に、魚を買わないかと話しかけてくることがあった。ただおしゃべりをしたいだけと言うこともあったが、私たちはセネガルのこの地方の言葉、セレレ語がわからないので、コミュニケーションは容易ではなかった。ある日きこりが何人かやってきて、薪を拾っては幾つも大きな束を作っているのを見かけた。薪ははしけ船で自分たちの村に持ち帰り、料理用に売るのだそうだ。村に帰ると言う彼らを誘い、一緒に牡蠣を焼いて食べた。毎日、ゼブーの動きに気をつけながら、島の色んなところを探検もした。島の真ん中で、バオバオの木が何本か緑の葉をしげらせているところまで歩いていったこともある。“猿のパン”と言われるその実をもぎ、昔ながらの習慣に従い、ジュースにして飲んだ。私たちは人工甘味料で甘みをつけたが、ここでは普通大量の砂糖を入れて出されるので、要注意である。また、この実はさいころ状に切り、天日で乾してそのまま食べることも出来る。少し酸味があって糖分の少ないドロップのようなものになる。時間を忘れ、過ごした1週間。静寂を破るのはときおり響く波のうなりだけ。そんな穏やかな日々の中では、私たちをとりまく色んな物事をまた正しく見定めることができるようになる。本当に必要なもの、かえがえのないものとは一体なんだろう?ラジオフランスの国際放送も、自分たちとは全くかけ離れた出来事ばかり扱っているようで、結局は全く聴かなくなってしまった。

ロビンソン島を離れ、川の上流に向け何マイルか進んでから、気の向くままに海から川に続く支流のひとつに入ることにした。その前に碇を下ろし、まず下調べだ。ディンギーで十分な深さがあるかを見る。入り口の近くに浅いところがあるが、その他は大丈夫そうだ。川岸に近い一番深いところを、深度計に注意しながらゆっくりと進む。ニ度、川底にぶつかってしまったが、村に通じる水路を見つけ入っていった。村に近いところまで進んでから碇を下ろす。耳に届くのは、川遊びしている地元の子供たちの笑い声、歓声。沈む夕日が空を染め上げている。影絵のように夕闇に浮かび上がる沢山のカッポクやバオバオの木。はしけ船も村に帰ってきた。

子供たちは川辺を後にし、それぞれの家に向かってぶらぶら歩いていく。遠くからゼブーの鳴き声。そして、夜の帳が下り、あたりは闇に閉ざされた。村にはほとんど灯りもともっていない。人々が夕食の支度をしているのであろう、薪を燃やす匂いがこちらまで漂ってくる。マングローブの森は虫たちの声で急に息を吹き返したかのよう。私たちは新鮮な空気を吸いにデッキに出たが、蚊にさされないよう体を覆うのを忘れてはいけない。ここでは、マラリアの恐れがあるのだ。船室への入り口や窓、ベッドも全部蚊よけのネットで覆う。ここでは熱帯熱マラリア原虫に刺される危険が常に伴う。ヒトに感染しマラリアを引き起こす恐ろしい寄生虫のひとつだ。糖尿病とマラリアなど、誰であっても避けたいコンビネーションである。そうならないよう対策を取るのは当然のことだ。

次の日、勉強が終わってから村に出かけた。アフリカではどこかの村に入るということはほとんど誰かの家に入ることに等しい。人々は最初少し驚く。子供たちでさえよそよそしい。ごく小さい子供たちだけが私たちに駆け寄ってきて、手を取り“こんにちは”と挨拶してくれるので、まず彼らに話しかける。大人たちは見守っているだけ。私たちの方から近づいていき、彼らにも挨拶して始めて、私たちについて色んな質問をし始める。氷が溶けたのだ。歓迎してくれている。このあたりの村々を旅人が通りかかるのは本当にまれであると言う。どこも、海から川へと続く支流の奥にある、はしけでしか近づくことのできない村である。当然のことだろう。村はそれぞれ違った家族が住む集落の集合体だった。それぞれの集落は、日除けにマンゴーやカッポクの木が一本植えられた中庭を囲むように昔ながらの方法で建てられた小屋の一群から成っていた。中央には大きなうすがひとつ。主食であるアワを挽くためだ。電気がないので、電動の粉引き器が使えるはずもない。エンジンの音もしない。この村のある島には車もバイクもない。移動には、歩くか、馬車を使うしかない。

村人たちは、アワとピーナッツの栽培でどうにか暮らしていた。ほんの少し前に取り入れが終わったばかりだ。畑仕事のほかに、女たちは貝を採り、川辺でスモークして保存食にする。男たちは漁。彼らの生活はシンプルでのどかではあるが、決して楽ではない。何家族かと仲良くなり、おしゃべりに楽しい時間を過ごした。私たちが彼らの生活について知りたいと思っているのと同じように、彼らも私たちの生活について知りたいと思っていた。夫は船外モーターの壊れたのをいくつか修理したし、私は軽い怪我の治療をしてあげた。マエルは村の子供たちの中で彼らの生活を学ぶことができた。

レスリングの試合

数日後、私たちはセネガル流のレスリングの試合に招待された。レスリングは国技であり、この試合は、他にこれといって楽しみのない村人にとっては1年に1度のビッグイベントである。会場には、柱を立てその上に米袋を長くつなぎ合わせたものをかぶせて、アリーナが作られていた。人々はかなり遠方からも集まってきているようだ。私たちの村の人々も、0歳の赤ん坊から78歳のお年寄りまで全員が揃っていた。太鼓のリズムが響き、お祭りムードを盛り上げる。女性たちの中には踊り出す者もいれば、歌い出す者もいた。まわし姿で一人目のレスラーが入場。胸や腰にお守りや魔よけをぶら下げている。角笛を手に観客の中央に進み出ると、笛を順番に四方に向け掲げた。マラブー(イスラム教修道士。北アフリカでは超自然的な力を持つと信じられている。)に付き添われ、体中に秘薬をすりこみ、勝利を引き込むよう調合されたドリンクを飲む。レスラーたちは次々に入場しては、同じ儀式を繰り返す。それぞれにファンがいるようで、入場のたびに会場のあちこちで声援が起こる。

インスリンとサンドイッチを持ってきていたのは、ラッキーだった。と言うのもスケジュールがかなりアバウトらしいのだ。7時には全試合が終わるはずだったが、実際にはまだ始まってさえいなかった。糖尿病患者にとって前もって計画を立てておいて損をすることなど絶対にない。さて、太鼓のリズムに乗ってようやく試合が始まった。そして最後の試合の後、勝者の発表。なんと、私たちの村のレスラーである。観客は狂喜し、アリーナに乱入してレスラーを担ぎ出した。歌い、踊る女たち。気が狂ったように打ち鳴らされる太鼓のリズム。この騒ぎがようやく収まったのは翌朝のこと。私たちは夜が明けるかなり前に睡魔に負けてしまったのだが、眠りの中にもその歌声、太鼓の音が響いていた。マエルはレスラーたちの強さに感嘆し、試合中に繰り返される儀式的なジェスチャーを楽しんでいた。大きな猫が喧嘩してるみたいね、と言いながら。

マエルは、村の子供たちと夢中になって遊び、自分が糖尿病だということをしばしば忘れてしまうようで、食事の時間や血糖測定の時間になると呼びに行かなければならなかった。

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