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マエルの航海日誌(Le voyage de Maelle)

第15回 一時帰国の旅(2007年4月)
掲載月:2007年11月

一時帰国の旅

(マエルより)

今回は、セネガルのカサマンスからフランス、フランスからまたセネガルに戻る旅についてのお話。フランスにいる家族からパパとママにちょっと心配なニュースが届いたの。それが始まり。二人はかなり悩んでいたけど、結局、ひとまずここを離れてフランスに帰ることにしたみたい。解決しなくちゃいけない問題がいくつか持ち上がったんだって。私たち家族は、どんな問題にも絶対に解決策があるはずだ、って信じているから、この挑戦にも立ち向かうことになったの。

そうなると、残っているインスリンとグルカゴンをしまっておく冷蔵庫が必要。安全のことを考えて、フランスに帰っている間、船の電気は落としておくことにしたから。ジガンショールでしょっちゅう停電があることを考えると、家の冷蔵庫は信頼できない。ママのスイス人の友達が、ディーゼル発電機を持っているホテルの名前を教えてくれた。すぐに連絡を取って状況を説明して、冷蔵庫を1台貸してもらえないか、それがだめなら、冷蔵庫の片隅にでも私たちの薬を預かっておいてもらえないか聞いてみると、ホテルの女主人さんはとっても親切で、私たちの留守の間、どんなに帰りが遅くなってもインスリンとグルカゴンを預かってくれると約束してくれた。しかも、お金は要らないって。だから私たちは、お礼のつもりでフランスに帰る途中にそのホテルに泊まることにした。

次は船の置き場所。ここにはマリーナがないから、どこか安全な場所を探さないと。それで、セネガル人の友達アーネスティンが住む村に面した小さな支流にしたの。ここは幅20メートルの支流で、風、波と戦いながら船をつなぐのは長時間にわたる、ものすごく大変な作業だった。船首、船尾の両方に碇を下ろし、更に両端を3メートルもの太さのバオバブの木につないだ。これで嵐が来ても流されていく心配はない。この作業には村人たちが集まってきて、フランス語とディオラ語で様々にアドバイスをしてくれてた。彼らにしてみると、そんな“見物料”を差し引いても、一見の価値のある眺めだったでしょう、ってママが言ってた。

イリディウム衛星電話のお陰でインターネットにアクセスできるので、旅行代理店とも連絡を取り合っていたんだけど、出発の2日前になって、ジガンショールから乗るはずだった飛行機がキャンセルになったという知らせがやってきた。代わりにケープスキアリングからの飛行機に乗ることになって、予定よりも早く出発しなくちゃいけなくなった。アフリカで物事が簡単に済むなんてありえないのを忘れてた!オーケー。ひとつずつ片付けていくしかない。まず、家の片付け。食器棚を空っぽにして、冷蔵庫の中の食べ物も悪くなるから村の人たちにあげた。そして荷造り。

一時帰国の旅

ジュリアス・シーザーという人が(冗談じゃなくて、本当にこういう名前)私たちを岸まで渡してくれた。一人ずつ順番に彼の丸太舟に乗るんだけど、これがとても幅の狭い船で、水上で平衡を保つことができないほど。岸に来てくれていたアーネスティンに私達の船のことを頼んで、“ニーム”(木)の陰で、彼女と一緒に“水上タクシー”を待った。この“水上タクシー”は大きな丸太舟で全くあてにならないスケジュールで運行していて、ジガンショールまで5時間かかるんだって。

水上タクシーがやって来たから、アーネスティンに最後のお別れを言った。彼女はおもいっきり大きな体を震わせて泣いてくれた。パパはもう一度、船のことでいくつか気をつけてほしいことを伝えていた。それから、マングローブで出来た板を渡って船に乗る。中には既に50人くらいの乗客がいた。その彼らの荷物といったら!まるでバザールみたいだった。例えば豚、鶏(生きたまま!)、ヤシ酒を入れた20リットル近くは入りそうな缶、果物や野菜のバスケット、米袋。湯気の立つなべからは色んな匂いが漂っていた。これは乗客がおなかのすいたときに“お好みに合わせて”食べさせてもらえるみたい。本当になんでもあって、船の中はまるでお祭りだった。この水上タクシーに乗っていて、一番辛かったのは暑さ。太陽の光がすごくて、本当にうだるような暑さだった。途中、いくつかの村に止まって、その度に小さなボートが岸まで行ったり来たりして、乗客や荷物を運んでいた。豚が下ろされたかと思うと、代わりにヤギが二匹乗って来た。そうこうしているうちに、ジガンショールの町が見えてきた。ボーバディで船を下り、ホテルに向かう。そこに泊まって次の日の飛行機で出発の予定だった。次の朝、6時に起きた。時間に余裕を持って空港に着こうとしたから、早起きして出発。私達が乗るダカール行きの飛行機は9時出発の予定だった。いつも通りママは用意周到。果物、ビスケット、サンドイッチ用のチーズ、水を何本か手荷物に入れて万が一に備えていた。

バス乗り場の待合室は、みんなウキウキした感じだった。ここから空港のあるケープスキアリングまで行く予定なんだけど、一体バスはいつ出発するんだろう?誰もわからない。でも、ここはアフリカだから。何事にも慌てないで、どんと構えて待つの。時間はたっぷりあったから、他の乗客の人たちとおしゃべりをすることもできた。午後1時。まだ待合室にいる。小さなカフェテリアがあったけど閉まっていたし、他に食べられるところもなかったから、持って来たものでママがサンドイッチを作ってくれた。1時半、“特急”バス到着。やっと出発できる?きっとそう。荷物はバスの上に積み上げられ、ロープがかけられた。乗客が乗り込んで、運転手さんが2本のワイヤをつなげると、エンジンがかかった。どうもイグニションがないようだってパパが言った。パパの隣に座っていた女性が、十字を切った。いやな予感。道路は舗装されてるけど、あちこちに穴があいている。それをよけようとして、運転手さんが右に左にハンドルを切り続けるから、しょっちゅう通行人や自転車にぶつかりそうになってる。途中で舗装された道路が終わると、信じられないくらい埃っぽいがたがたの道になった。しかも、今は乾季。何ヶ月も雨が降っていない。トラックが通るたびにバスの中には砂埃が嵐のように舞い込むから、体中が砂で赤っぽくなった。しかも、のどはからから。持ってきた水はすっかり生ぬるくなってたけど、それでも飲むとさっぱりした。運転手さんは、定期的にバスを止めてはラジエーターに補給していた。エンジンの音がすごくて寝ることもできなかった。その上、荷台はカスタネットが鳴っているような音がしていた。結局、ケープスキアリングまで72キロを走るのに3時間かかった。でも、目的地に着けたんだから喜ばなくっちゃね。

4時半、ケープスキアリング空港に到着。空港の責任者の人から、近くの村の小さなレストランでサンドイッチを食べて来てください、と言われた。私にはスナックが必要だったし、あまりの暑さにすっかり疲れ切っていたから。パパとママが色々相談している間、ずっと水を飲み続けてた。2人はここから先、一体どうなるのかはっきりさせようと色んなところに電話をかけていた。何時にダカールに着くのかもわからなかったから、パパは万が一に備えてダカールのホテルを予約した。空港に戻ると、パパはダカール行きの飛行機が何時に出るのか聞きに行ったけど、誰も何も知らない。8時になっても何の知らせもなし。パパは責任者のところに行って、私が糖尿病患者で何か食べなくてはいけないのだと話すと、“わかりました。”という返事。そして15分後、とってもおいしいポークサンドイッチとフルーツを持ってきてくれた。ああ、よかった。私が血糖値を測っているのを見て、乗客のひとりが“糖尿病ですか?”と声をかけてきた。その人の奥さんも糖尿病なんだって。でも、私みたいに測定器を持っていないから、月に一度診療所に行って測っているんだって言ってた。私たちがいつも糖尿病管理をしていることを話すと、熱心に聞き入っていた。思ってもみないところで、ためになる情報交換ができたみたい。9時半。やっと私たちが乗るバンジュール(隣国ガンビア首都)経由ダカール行きの飛行機が到着。

一時帰国の旅

ダカール空港を出ると、ゲートにはものすごい数の人たちがいた。露天業者やもぐりのポーターが客を持ち構えているんだってパパが言ってた。若いポーターが 1人近寄って来て私たちの荷物を運ぼうとするから、パパがウォロフ語で厳しく叱りつけて荷物を取り返したの。何台ものタクシーに掛け合って、やっと1台、通常の料金でホテルまで行ってくれるタクシーを探し出した。運転手はホテルの場所を知らなかったから、パパが道を教えた。

やっとホテルにたどり着いたらあたりは真っ暗。ここでは珍しくない停電。おかげでホテルの明かりはロウソクだけ。断熱素材のバッグに入れておいたインスリンとグルカゴンは、まだちゃんと冷たいまま。ジェルパックも解けてない。だから全部バッグに入れたままにして、電気が戻るかどうかしばらく様子を見ることにした。もし電気が戻ったら、朝ホテルの冷蔵庫に入れさせてもらえる。その夜は、波の音を聞きながら一晩ぐっすりと眠ることが出来た。朝、ゆっくりとおいしい朝ごはんを食べたあと、海辺をのんびり散歩した。船を出てから全く運動していなかったから、パリ行きの飛行機に乗る前に少し足を伸ばしておきたかったの。飛行機は夜12時に出る予定だった。午後、ホテルのスタッフとテーブルサッカーのゲームで盛り上がった。そして、信じられないことに(!)飛行機は予定通りに出発した。

パリは冷たい雨で全てが灰色に煙っていた。家族の住む町まで、田舎道を車で何時間も走った。でもそのあとは、4日ぶりにゆっくりくつろぐことができる。

こんな旅行中の糖尿病管理は、“チャレンジの連続”と言えばいいのかな。予測していない出来事が起きるし、自分の体調をいつも分かってなくちゃいけまない。アフリカではヨーロッパでは当たり前のものがない、という事を受け入れて、その状況の中でできることをするだけ。

例えばトイレ。尿テストをしなくちゃいけないとき、一番手っ取り早い場所だけど、丸木舟の待合所にいつも公衆トイレがあるとは限らない。そんなときはマングローブの陰に隠れて用を足すことになる。その上、ヨーロッパから来た子ということで、アフリカの子供たちの興味の対象になっていることも覚えておかないと。つまり、プライバシーの保証なんて、どこにもないの。他にも、地方の小さな空港ではカフェテリアやレストランなんて見かけない。(たとえあっても、開いていないことが多いしね。)それから、個包装のスナックも売っていない。ジュースやコンポート(果物の甘煮)には砂糖がたっぷり入っている。だから、必ず事前の計画が大事。それと現地の状況に合わせること。問題が起こっても常に冷静でいること。そして希望を捨てないこと。これが守ったほうがいいルール。

インスリンを持ち歩くのに使っているバッグは、すごくいい断熱材でできていて、45℃の暑さの中でも、丸木舟やバスで長距離を旅行するときでも、ずっと適温を保っていた。セネガルからパリまでの飛行機の機内に、こういったものを持ち込むのには何の問題もなかったんだけど、セネガルに戻るときはそう簡単にはいかなかった。パリでは、セキュリティがかなり厳しいの。液状のものを機内に持ち込むのは固く禁じられている。なぜ私たちがインスリンを持ち歩かなくてはいけないか説明したドクターの手紙をしょっちゅう見せなくてはいけなかった。理由はわかってくれても、なぜそんなに大量のインスリンを持ち込むのかにも説明が必要だった。持続型インスリンの他に使っている2種類のインスリンがセネガルでは手に入らないから、数か月分をフランスから持って行こうとしていたからね。空港警察に説明すると、機内持ち込みが許された。貨物置場の室温がインスリンには低すぎることや、破損や紛失が心配なことも、機内持ち込みの正当な理由になった。

飛行中は特にトラブルはなかった。チーフパーサーに糖尿病だと話すと、食事のとき、優先サービスを受けることが出来た。事前に飛行機会社に知らせたわけでもないし、特別食を予約したわけでもなかった。機内食に合わせてインスリンの量を調節することで充分で、大きな血糖値の変化はなかった。 この旅行で、どんなことを学んだかって?事前に計画して、きちんと準備することで、たとえどんな厳しい状況の下でも、糖尿病患者も安全に旅行ができるっていうこと。

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