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マエルの航海日誌(Le voyage de Maelle)

第20回 トルネードの季節(2007年10月)
掲載月:2008年6月

田んぼ

(マエルより)

前回のお話の通り、雨季の初めには雨がなかなか降り出さなかったから、村の人たちが呪術師に頼んで雨乞いの儀式をしたり、おまじないを唱えてもらったりすることが増えていった。ここの田んぼには用水路が引かれていないので、頼みは天からの恵みの雨だけ。 だから、地元の人たちが次の年に食べるお米の量を充分確保するためには、雨季の雨が絶対に必要なのだ。

多分おまじないが効いたのだと思う。すさまじい勢いで雨が降り出した。それからというもの空は大抵雲で覆われ、息が詰まるほどの暑さと湿気が続いている。ただ幸運なことに、川で泳ぐことはできる。水温は摂氏35度。決して気持ちのよい水温ではないけれど、水に飛び込めば、少なくともこの湿気からはちょっとだけ解放される。村の人たちがブヨやハエ、蚊、蛇などに悩まされながら裸足で田んぼで働いているのを見ると本当に気の毒になる。なかでも、イスラム教徒の人たちは今ラマダン(断食月)に入っているから益々大変だと思う。自分が一日に口にする水の量を考えると、彼らはどうやって水を飲まずにやっていけるのかしらと思ってしまう。

勉強のスケジュールを変更して、1日の一番暑い時間に机に向かわなくていいようにした。この蒸し暑さの中、集中しようなんて絶対無理。ただでさえ疲れているのだから尚更だ。あまりの気温の高さに眠りも浅い。夜ベッドから起き出しては、少しでも身体を冷やそうとシャワーを浴びることもある。  ここでは学校も10月8日まで始まらない。暑いからということもあるけれど、一方で子供たちも農作業の手伝いをしなければならない事情もある。父親たちは男の子にカディエンドゥ(この地方で昔から使われているすきの1種)の使い方を教え、母親たちは女の子に米の種の植え方、それから、どうやって苗を田んぼに植え替えるかを教える。小さい子供たちには、牛やヤギが田んぼに入り込んで、植えたばかりの柔らかい苗を食べてしまわないよう見張っているという仕事が与えられる。

友達のウスマヌは13歳、この秋から私と同じ6年生。自分がこれからどんなことを教わるか知りたいので、私が通信教育で使っている6年生の教材を見せて、とやって来た。母親のマリアマは、私が11歳でもう6年生だと知り、驚いたようだ。フランスでは、2歳から子供たちが母親から離れて学校に行き始めるとだと話したときのマリアマの動転ぶりといったら、こちらが一瞬心配になってしまうほどだった。信じられない、と目をみはり、幼い2歳の子供がどうやって長い時間、母親と離れていられるの?と尋ねられた。

マエルと村の子供たち

この国では、子供が学校に行き始めるのは7歳になってからだ。その年齢までは、遊んだり、軽めの仕事を手伝ったりしている。両親は子供たちに沢山のことを任せ、子供たちは任された仕事をこなしながら、自分たちで色んなことを学んでいく。村では、子供たちは、自分たちの思い通りに、どこへでも行くことができる。ある意味、同じ年頃のフランスの子供たちよりずっと自由だ。もちろん、ここにはセキュリティの問題などないし、車の往来も限られているというのは事実である。

パパとママには、今はストレスの多い季節だ。ここの雨季はトルネードのシーズンでもあるから。この激しい嵐は昼夜に関係なく、何の前触れもなしに襲ってくる。だから、留守番をおかずに、ボートを空けるなど絶対できない。散歩やサイクリングに出かけるときも、万が一に備えてパパとママのどちらかがボートに残ることにしている。トルネードが起こると、まず空に他の部分よりも暗い灰色をした1本の線が走る。はじめは、どうにか見えるくらいの目立たない線だ。それが突然どんどん濃くなりながらこちらに近づいてくる。暑さも湿気もいつもより更にアップする。そして、全てのものがしんと静かになり、全く動かない。と思うと、いきなり直撃である。時速120キロから140キロ以上もの突風が襲ってくる。そうなると船上はパニック状態に陥ってしまう。夜なら尚更。突然眠りを引き裂かれ、ほんの何秒かでベッドからはね起き、行動に移らなければならないのである。ママは蚊よけのネットを取り込み、日よけ、舵窓を閉めると、モーターを始動させる。パパは1番アンカーのロープを伸ばし、2番アンカーを下ろして、マストの上についている避雷針につなげた鋼線を海中に沈める。こうしておけば雷が落ちても、電荷を海中に逃すことができ、船が火事になることはない。船にある電気製品も全部コンセントを抜く。トルネードを甘く見てはならない。

初めの頃は死ぬほど怖かった。夜、稲妻が走り雷が鳴ると、私はパパとママと一緒に操舵室で過ごすことにしている。空を見上げると、まるで音と光のショーみたいだ。稲光が、まるで木が枝を張り巡らせるように、空いっぱいに広がったかと思うと、恐ろしい雷鳴がとどろく。そして横なぐりの雨。ものすごい雨量なので、嵐が去ったあと、パパとママはディンギーに溜まった雨水をくみ出さなければならない。そのままにしておくとディンギーが沈んでしまうほどの量なのだ。今のところ、嵐以外のときに風が吹くことがないので、ディンギーでのセーリングはできない。だから、きれいにしておいて、溜まった雨水は洗濯やボートの掃除に使うことにしている。

雨季

村では、全体や一部が”溶けてしまった“小屋があった。どろでできているので、丁度お湯の中に砂糖を入れたときみたいに、本当に溶けてしまうのだ。2週間ほど前のことだったが、ローズとアルフォンソがある朝眼を覚ますと、目の前に、見えるはずのない川景色が広がっていて、びっくりしたそうだ。  壁がまるまるひとつなくなっていたのだ。支えを失って天井もたわみ、危険な状態だったが、こんなお天気では修繕することもできない。支柱を立ててどうにか屋根を支え、やしの葉で編んだ壁を取り付けて、雨季が終るまでそれで持ちこたえるしかない。

この大雨のせいで、衛生面の問題も出た。池や田んぼにどろ水がたまり、そこに蚊が大繁殖しているのだ。そのせいでマラリアの発症が急増。村の井戸の多くは汚染され、下痢や赤痢、そしてコレラまで引き起こしている。私たちは自分たちでろ過・処理した水しか飲まない。誰かのお宅に招待されるときは、みんなの分まで飲み水を持っていくことにしている。私達が村の井戸の水を飲みたくないということに、けげんな顔をする人などいない。村の人たち、特に子供は、汚染された水を飲んで大変な目に遭うことが多いのだ。中には塩素で消毒してから飲んでいる人もいるけど、それはほんの一部。多くの人々は布でこしただけで、ろ過したつもりでいるようだ。私たちのここでの生活を、地獄の入り口に立っているようなものだと考える人たちもいるかもしれない。でも、ディオラ族の人々から受けた優しさ、温かな もてなし、人情を考えると、私には地獄というよりむしろ天国の入り口に立っているよう、と言う方が合っているように思える。

全体的に、糖尿病の方は落ち着いた状態だった。ただこの天気のおかげで、インスリンの保管時間のルールを少しだけ変えなければならなかった。気温の高さを考えて、びんを開けたあとのインスリンの保管時間を短くした。モーリタニアの砂漠の乾いた暑さに耐えた私の血糖測定器は、今アフリカの熱帯で、その蒸し暑さに果敢に耐え、測定器の役割をきちんと果たしてくれている。(船の湿度計が示す相対湿度は、常に90%を超えている。)たくさん泳いだから、血糖値はお医者さんが決めた制限の範囲に納まっている。

つまり、私はここでもかなり普通に近い生活を送ることが出来ている。

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