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マエルの航海日誌(Le voyage de Maelle)

第27回 サルヴァドール(2008年6月)
掲載月:2009年7月

ブラジル海岸

(マエルより)

夜の帳が下りる頃、ブラジルの海岸が近付いてきた。サルヴァドール・デ・バイアの街に、何百万もの明かりが少しずつ灯っていくのが見えた。まるで、彼方からホタルが飛んできているようだった。1年半の間、日没後は真っ暗になってしまうセネガル西部・カサマンス地方でのんびり暮らし、そのあと3週間も海上で過ごした私たちには、ちょっと不思議な眺めだった。

湾の入り口に向かったが、暗くて、浅瀬を示すブイがどこにあるかわからなかった。また、引き潮の流れが強くて、湾に入るのにエンジンをかけなければならなかった。朝から、私たちは風にすっかり見放されていた。貨物船、ボート、水先案内船、トロール漁船、そして灯りをつけていない地元の小さな漁船など、ありとあらゆる種類の船の行き来があったので、常時、目を皿のようにして見張りをしていなければならなかった。夜間に岸に向かうときは、街の明かりが眩しくて、回りの船が見えにくくなってしまうことがあるのだ。岸が近づくにつれ、街の騒音―車の行きかう音、クラクション、サイレン―が大きくなり、食べ物を揚げる匂いが漂ってきた。長い間、海の匂いだけを嗅いできた私達には、かなり刺激的だ。 夥しい数のブイの間をくるくる回るようにしてすり抜けたが、今度はマリーナの入口がわからない。結局、夜のうちにマリーナに入ることを断念し、朝まで待つことにした。暗いまま進んで、海上に無数に下ろしてある他の船のロープの1本がプロペラに絡みついてしまっては、面倒なことになってしまうからだ。港には見事な大型の旅客スクーナー船が幾つも停泊していた。その間を進んで行き、少し離れたところに錨を下ろした。 眠りに就く前に、デッキに貴重品など大切なものを置きっぱなしにしていないか確かめた。ここでは夜、物がなくなることがあるのだ。大都市に来たのだということを忘れてはならない。この日最後の血糖値測定を行い、遅効性インスリンを注射してベッドに入った。でも、私たちの眠りは長くは続かなかった。

11時頃、雷が近づいてきた。風向きが変ったのだろう、波が打ち付けるものすごい音に目を覚ました。パパとママは既に起きていて、錨をもうひとつ下ろす用意をしているところだった。静かな夜はどこかへ行ってしまった。風はどんどん強まり、北西の方角に向きを変え、大きな波が、私たちのいる係留区域に叩きつけるように押し寄せてきた。パパが第二錨を下ろした。風が北西の方角に吹いているということは、港を守る堤防が機能していないということだった。私たちの船の船首は、人々が船に乗り降りするときに使われる巨大な艀(はしけ)から少し離れたところにあり、船尾は、係留区域の真ん中に位置する古い要塞サン・マルチェロの壁に、ぎりぎりまで近づいていた。

事態はだんだんと悪化し、パパとママはこの場所からなるべく早く離れた方がいいと判断した。波はすでに2メートルもの高さに達し、要塞の壁に打ち付けられた波のしぶきが、激しい雨のように後方デッキに落ちてきていた。最大の危険は、150トンもあるはしけが、私たちの方に近づいてきていることだ。パパとママがかなり緊張しているのがわかった。ママはどうにか船の向きを変えようと必死になっていたし、パパは太鼓のようにぴんと張った錨綱と格闘していた。

錨がはしけの下に入り込んでしまい、船は身動きが取れなくなっていた。早くどうにかしなければ。いつもは、どんな困難が私たちを襲っても、パパとママがどうにかしてくれると安心しきっている私も、さすがにこの時は、もうなす術がないのではないかと、暗い気持ちになっていた。ママに何か質問を投げかけても、生返事しか返ってこなかった。近づいてくるはしけから船をよけようとしながら、はしけに乗っているはずの守衛を起こそうと、必死でサイレンを鳴らし続けるので精一杯なのだ。ついに守衛が現れた。パパが片言のポルトガル語で、状況を説明しようとしたが、嵐の怒号と番犬のけたたましい鳴き声の中では、大声で叫んでも、お互い何を言っているのか理解することは難しかった。どうにか、はしけにはエンジンがついていないということだけがわかった。つまり、守衛にも、この状況を打破することができないということだ。自分たちでどうにかするしかない。瞬時に判断をしないと命取りになる。

パパは錨綱を切って、船を錨から離すことを考えた。でも、ママがはしけにぶつからないよう、船をできるだけバックさせなければならなかったため、錨綱はぴんと張ったままになり、パパがウインドラス(ロープ巻き上げ機)に近づくことはできなかった。ママは、はしけを私たちの船から遠ざけてもらえないか頼もうと、港湾局にも連絡を取っていたが、まだ返事がなかった。きっと他のことで忙しいに違いない。パパとママは、この難局と一晩中戦わなければならなかった。回りのスクーナー船のブーム(張り出し棒)にマストが引っかからないよう気をつけながら、船がはしけにぶつからないよう、コントロールしなければならなかったのだ。万一に備えて、家族3人とも救命ジャケットと、書類やその他の貴重品を入れた防水バッグを身につけていた。

サルヴァドールへ

風は一時120キロにまで達したが、やがて少しづつ弱まり、向きも変わったので、早朝、停泊していた場所から離れることができた。目的地は湾の向かいにあるイタパリカ島。島に着いてすぐに、パパは入国手続きのため船でサルヴァドールに行った。可哀想なパパ。ほっとする時間なんてない。でも、手続きは案外早く済み、しかも、足を運んだすべてのオフィスでコーヒーを勧められたそうだ。昨晩の嵐は、マリーナにかなりの被害をもたらし、沢山の船が危険な目にあったらしい。朝食のあと、ママと私は昼寝をした。今日は勉強はなし。明日、二日分頑張ればいい。

午後の早い時間、レオンが訪ねてきてくれた。カサマンスにいたときに知り合った友達だ。昨晩の嵐でディンギーが流されてしまったそうで、泳いで私たちの船にやってきた。私も海に入って、お互いの近況報告など、ゆっくりとおしゃべりを楽しんだ。気温が高く、蒸し暑かったので、水がとても気持ち良かった。 イタパルカ島は、ヤシやバナナの木陰に立つ家々があったり、崖に緑の生い茂るとても素敵なところだ。全てが静かで、都市の騒音など、ここには無縁だ。

昨晩かなりストレスを感じたせいだと思うけど、今朝、特に思い当たる理由などないのに、血糖値が大幅に上がっていた。すぐに必要な処置をすると、少しづつ下がり、夕方までに通常値に戻すことができた。その間、 かなり頻繁に血糖測定を行った。

私たちを手荒に歓迎してくれた、広大な国ブラジル。ここでの日々が、もう少し平穏でのんびりしたものであればいいな、と思う。

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